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優里「ベテルギウス」の歌詞がおかしい?意味を徹底考察してみた

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都会の夜景の写真 歌詞考察
画像出典:筆者撮影
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優里が2021年11月4日にリリースした配信限定シングル曲「ベテルギウス」(フジテレビ系木曜劇場ドラマ『SUPER RICH』主題歌)は、人気曲として現在もロングヒットを続けている。筆者もお気に入りの曲だ。しかしネット上では、冒頭の歌詞がおかしいのではないかと指摘する声が一部みられている。そこで今回は、同歌詞を考察してみようと思う。

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冒頭の歌詞を考察

まず、最も多く議題に上がっている箇所は、次の通り。

空にある何かを見つめてたら
それは星だって君がおしえてくれた

出典:優里「ベテルギウス」 作詞作曲:優里

一部のリスナーからは、空にあるものが星であることくらいは小さな子どもでも理解できる、なぜこのような表現になっているのか、という声が上がっているようだ。これを考察する。

筆者が考えたのは、歌詞の「星」が「ベテルギウス」を表しているのではないか、という説だ。
空にある何かを見つめていたら、それが赤色で強く輝く「ベテルギウス」だと君が教えてくれた、という意味だとは考えられないだろうか。こう解釈すれば、のちに続く歌詞との整合性もある程度取れる。

このほか、都市部で星がよく見えない状況で、ビルの明かりなどの中にたった一つだけ目立って輝くベテルギウスが見えているのを君が教えてくれた、という解釈も考えられる。また、そもそも星という概念が人間の間で共有される以前の話が描かれている、と想像することもできなくはないが、これは飛躍しすぎだろう。

「僕自身も忘れたころに」の意味を考察

続いて、次に多く議題に上がっている2番の歌詞について考察する。同箇所は次の通り。

何十年 何百年 昔の光が
僕自身も忘れたころに
僕らを照らしてる

出典:優里「ベテルギウス」 作詞作曲:優里

ここで問題となっているのは、「僕自身も忘れたころに」が星目線になっているのではないか(曲中に主語が変わっているのではないか)、という点だ。

確かに、星は地球と距離が離れているため光が届くのが遅く、この箇所も星側から見たもののように感じられる。しかし筆者は、この「僕」は地球に居る人間であると考える。

なぜなら1番の歌詞で「星自身も忘れたころに」という異なるフレーズになっており、さらに直後には「僕らを照らしてる」と照らされている側の存在が僕であることが明かされているためだ。

つまり、人間の僕自身も忘れてしまうような長い年月の後に、届いた光が僕ら地球上にいる存在を照らしている、という意味ではないかと考える。

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